瞬に言われた、たった一言のごめんという言葉と、ずっと愛していたという言葉。
 
 それはありふれた言葉なのに、体中を巡って翼が生えたように、体と言わず、僕の全てを軽くした。

 
 ――それは先人の言葉を借りると、まるで“魔法”のようだった。

 “魔法”なんて言葉を知る手段は、今や限られているけれども、知っている人からすれば、呪力がある時代に魔法だなんて、馬鹿馬鹿しいって思うかもしれない。

 けれど魔法は呪力と比べられないほど素敵な意味合いを秘め、その効力を発揮する言葉だと僕は今知った。



「謝らないでくれよ、瞬。僕は…、」


 
 そう言った途端、僕は口から言葉の発し方を忘れたように声が出せなくなり、頬を伝いぱたぱたと地面に落ちた水滴の染みを見て、自覚もなく目から涙が溢れだしていることに気づく。
 
 昔からあることないこと喋るのが得意で、どんな時でも口が回ることだけが取り柄だと、早季に「これは褒めてるのよ」と自慢げに言われたことを思い出した。


 しかし、今は瞬にずっと言いたかった言葉が、堰を切ったように次々と溢れ出し、無音で口から飛び出しそして宙を舞っては消えていく。
 別に瞬に謝って欲しかったわけでも、愛の言葉を言って欲しかったわけでもない。
 
 でも、心の中のなにかを押さえていた蓋が取れたかのように、様々な生身の感情がとめどなく溢れ出していた。



 
 「…泣くの、ずっと我慢してたよね、覚」


 いつしか、瞬の重ねられた手は、強く僕の手を握っていた。


 「僕が居なくなって、覚が一番辛かったはずなのに、みんなを優先して、支えて、僕の分まで、色々役割を背負わせてしまったようだね」


 瞬が、手を引っ張って、僕を優しく抱きしめてくれた。
 
 ふわりと、懐かしい瞬の頭髪の匂いと、水の匂いが混じった、不思議な、でもとても落ち着く香りに包まれていた。


 
 「…泣いていいよ、覚。僕の前では、もう、何も我慢しなくてだいじょうぶだから…」



 瞬の優しい言葉が、薬のように体中に沁み渡っていく。

 そのうち、とうとう、声を我慢できなくなって、僕は子供みたいに、泣き喚いた。


 それでも頭の中では未だに、瞬になんて言おうか、どれから話せばいいのか、僕は何を伝えたいのか、とめどなく考えていた。
 でも、そんなことさえ、頭で整理できずに、言葉が僕の中で水分となって、口の代わりに目から溢れ出して止まらない。
 

 
 ――自分の泣き声だけが、辺りにこだましていた。

 その間、瞬はずっと、きつく、暖かく僕を抱きしめてくれていた。


 今まで、どんなに辛く悲しいことがあっても、泣くことを我慢した自覚は、一度もなかったが、無意識に、泣くに泣けない状況を自分で作り出していたのかもしれない。


 
 …瞬はやっぱり全部分かっていた。
 全部、見抜いていた。
 今までずっと一緒に居ることの多かった早季でさえ、僕が一度も泣いていないことには、気づいていなかっただろう。



 
 
 ――暫くして、瞬の腕の力がふっと抜けて、お互いの顔を見る。




 「…ふふ、覚、目が真っ赤になっちゃったね」


 そう言って笑う瞬の目も十分潤んで赤かった。
 …瞬が、生きている証拠だ。



 
 「…瞬、ありがとう」



 ふっと目尻を緩めて首を少し振る仕草が、とても愛らしかった。


 
 「瞬、僕も君のことをずっと、愛していたよ」
 「…知ってるよ」


 
 くすくすと瞬は口に手を当て、笑う。

 

 瞬の、全てを見透かしているかのような綺麗で優しい翡翠色の瞳と、ずっと恋焦がれて止まなかったあの笑顔を見て、僕は、僕の好きになった人は、やっぱり生涯でただ一人だけだったと、そう思った。



 「…そして、これからも、ずっと、愛している」
 「うん、僕も」




 キスを、した。
 
 二人の吐息だけが、この深い夜に浸みていく。







 ――そうして、僕たちは、抱きしめて伝わる体温をお互い確かめ合って、もう一度恋に落ちた…