鏡の中の恋人 (11/11) | ねこむー
僕らは再び外へ出て、少し急ぎ足で、北へ進む。
森の中を通り、鈴虫の鳴き声を聞きながら、今日の話をぽつぽつとし、やがて森が開け、二人の歩く音だけ響いた。
今夜は、満月だった。
水面にゆらゆらと、綺麗に映し出されている。
――僕たちは、再び、あの湖に来ていた。
湖に着くなり、瞬は、弁当箱を僕に預け、一緒に持ってきていた綺麗な色とりどりの花束を持ち、注連縄をくぐり、湖の淵へと移動した。
「…その花、瞬が集めたの?」
哀愁を帯びた、すらっとした背中に、話しかける。
「うん、全部、この郷に咲いていたものだよ」
ふと瞬が花束を持ったまま、夜空を見上げ、空に浮かぶ大きな満月を見つめた。
後ろから見ていた僕は、その、幻想的ともいえる姿に、息をのむ。
瞬は再び、水面に視線を戻し、呟く。
「…父さん、母さん。来たよ…」
瞬の表情は見えなかったが、とても、穏やかな表情をしていたに違いない。
「僕を、二度も助けてくれて、……ありがとう」
そういうと、瞬は持っていた花束をそっと湖に落とした。
そのうち、ばらけた花たちがゆらゆらと漂っていって、その様子をしばらく無言で、僕も瞬も見つめていた。
今日は、瞬の両親の命日だった。
「…さあ、待たせたね。覚、おなか減っただろう?ここで、月でも見ながらお弁当を食べよう」
「ああ」
僕たちはその辺に落ちていた、朽ちた大きな木に座って、弁当を食べた。
食べている間、始終無言だったのだが、食べ終わって一息ついた僕は、瞬に話しかけた。
「…前来た時から、まだ1ヶ月しか経ってないんだな。もう随分と長い間、君と過ごした気分だったよ」
「そうだね、もう、あの時が懐かしい」
僕は、約2か月前、瞬が鏡の中に現れてから、ここに来るまでの紆余曲折を思い返していた。
「本当に、色々あったなあ…」
あの晩も、月が綺麗だったな、と思い出していたら横からふと鋭い視線を感じた。
目だけ動かすと、案の定瞬が僕を見上げていた。
「…覚さあ」
「え、なに?」
瞬が視線を外し、湖を見つめながら言う。
「あの時、本気で死のうと思ってただろ。僕を鏡から出すとか言って」
「…いや、瞬、君は実際鏡から出てこれたじゃないか」
「そういうことを言ってるんじゃない。君は、初めからここで死のうと思ってたんだろ?成功しようが失敗しようが」
「…うーん、そうだったかな?あまり覚えてないや」
実際のところ、瞬の言うとおりだったのだが、そうですなんて認めたら、またすごい説教を食らいそうで上手いことはぐらかす。
「…だって、僕が助けに行かなかったら、君は確実に死んでいたじゃないか。実際陸に上がった時、君、心臓止まってたからね」
「…それはほら、君が消えるか消えないかの瀬戸際だっていうのに、僕が死ぬ気で臨まないわけにはいかないだろ?僕だって命かけるさ。結果、瞬は出てこれたんだしね」
「…死ぬ気でっていうか、始めから死ぬつもりで挑んでたんじゃないか」
相変わらず瞬は賢く、痛いところを突いてくる。
「…んー、まあ、いいじゃないか。そんなことは」
僕がそう言うと、瞬は呆れたような顔をして、深いため息をついた。
「…全く君って人は…いつだってそうやって、自分を犠牲にしようとするんだから」
しょうがないなあ、といった感じで片目を瞑り、もう片方の目で僕の様子を伺っている。
そんな瞬の様子が、可愛くて頬が緩む。
「…君だって、そうだろ?」
僕はそういって、笑いながら瞬の唇に自分の唇を合わせた。
瞬は一瞬驚いた顔をしていたが、すぐにうっとりとした表情になり、静かに目を瞑った。
僕はキスをする度、また新しい瞬の表情が見れることに震える程喜びを感じていた。
唇を合わせている間、ふとこう思う。
このまま、ずっとこうしていたい…なんて、すごく子供っぽいことを。
…でも、今、この時だけは、子供っぽくても、構わなかった。
このまま、瞬の温もりを感じながら、今まであった苦しいことも悲しいことも全てが霞むほどの、この静かな夜に、満月と共に浮かんでいたかった。
そんなことを考えていると、そのうち、ふわふわと、まるで本当に浮かんでいるかのような夢見心地になった。
――ここはまるで、幸せの実感を一番感じていた頃の、昔と同じ全く小さな世界である、とふと思った。
…でも、その小さな世界で、僕たちの止まっていた時間はようやく、静かに動き始めていた。
これからは、二人でまた、時を刻んでいけるのだ。
会えなかった12年間の空白の時間も、二人ならすぐに、埋められるような気がしていた。
…なあ、瞬もそう思うだろ?
なんて、聞こえるはずのないことを分かっていながら、心の中で呟く。
まだキスをしている途中だが、ふと目を開けてみると、瞬も目を開けてこちらを見ていた。
そして、僕の問いかけが伝わったかのように、「そうだね」と言うように瞬は目を細めて笑った。
目は口ほどに物を言うとはよく言ったものだ。
そして僕らは、互いに瞳を見つめ合いながら、何度も、何度も位置を変え、熱い口づけを交わした。
瞬の誘うような潤んだ瞳を見つめながら、今すぐにも瞬をどうにかしたい衝動に駆られていたが、さっきのことを思いだして、もしかしたら瞬なら、僕の心の声を聞くことが可能なんじゃないか?と思ってしまって、気が気でなかった。
…そんな僕を見かねたのか、瞬がもう我慢できない、と言った感じで口を離し、その真っ白な歯を見せながらけらけらと笑い出した。
何故突然笑い出したのか理解できない僕を横目に、瞬は案の定、「やっぱり、君は馬鹿だね」と、もう言われるのは何度目なのだろうという台詞を吐く。
今度からその台詞、言った回数数えてやろうか。なんて馬鹿なことを考えながら、瞬の楽しそうに笑う顔を見て、僕も自然とつられて笑ったのだった。
――笑い合えるこの瞬間が、いつまでも続きますように。
と僕はまた、子供のような願いを、心の中でかけた。
「…ふふ、そうだね。覚」
瞬はそう一言言うと、満天の星空に負けないくらいの、溢れるような笑顔で、再び笑ったのだった。
-Fin-