僕らは再び外へ出て、少し急ぎ足で、北へ進む。
 森の中を通り、鈴虫の鳴き声を聞きながら、今日の話をぽつぽつとし、やがて森が開け、二人の歩く音だけ響いた。


 今夜は、満月だった。
 水面にゆらゆらと、綺麗に映し出されている。



 ――僕たちは、再び、あの湖に来ていた。



 
 湖に着くなり、瞬は、弁当箱を僕に預け、一緒に持ってきていた綺麗な色とりどりの花束を持ち、注連縄をくぐり、湖の淵へと移動した。



 
 「…その花、瞬が集めたの?」


 哀愁を帯びた、すらっとした背中に、話しかける。


 「うん、全部、この郷に咲いていたものだよ」


 
 ふと瞬が花束を持ったまま、夜空を見上げ、空に浮かぶ大きな満月を見つめた。


 後ろから見ていた僕は、その、幻想的ともいえる姿に、息をのむ。



 
 瞬は再び、水面に視線を戻し、呟く。


 
 「…父さん、母さん。来たよ…」



 瞬の表情は見えなかったが、とても、穏やかな表情をしていたに違いない。



 「僕を、二度も助けてくれて、……ありがとう」


 
 そういうと、瞬は持っていた花束をそっと湖に落とした。

 そのうち、ばらけた花たちがゆらゆらと漂っていって、その様子をしばらく無言で、僕も瞬も見つめていた。


 今日は、瞬の両親の命日だった。





 「…さあ、待たせたね。覚、おなか減っただろう?ここで、月でも見ながらお弁当を食べよう」
 「ああ」


 
 僕たちはその辺に落ちていた、朽ちた大きな木に座って、弁当を食べた。
 食べている間、始終無言だったのだが、食べ終わって一息ついた僕は、瞬に話しかけた。



 「…前来た時から、まだ1ヶ月しか経ってないんだな。もう随分と長い間、君と過ごした気分だったよ」
 「そうだね、もう、あの時が懐かしい」



 僕は、約2か月前、瞬が鏡の中に現れてから、ここに来るまでの紆余曲折を思い返していた。



 「本当に、色々あったなあ…」


 
 あの晩も、月が綺麗だったな、と思い出していたら横からふと鋭い視線を感じた。
 目だけ動かすと、案の定瞬が僕を見上げていた。




 「…覚さあ」
 「え、なに?」



 瞬が視線を外し、湖を見つめながら言う。



 「あの時、本気で死のうと思ってただろ。僕を鏡から出すとか言って」
 「…いや、瞬、君は実際鏡から出てこれたじゃないか」
 「そういうことを言ってるんじゃない。君は、初めからここで死のうと思ってたんだろ?成功しようが失敗しようが」
 「…うーん、そうだったかな?あまり覚えてないや」



 実際のところ、瞬の言うとおりだったのだが、そうですなんて認めたら、またすごい説教を食らいそうで上手いことはぐらかす。

 
 
 「…だって、僕が助けに行かなかったら、君は確実に死んでいたじゃないか。実際陸に上がった時、君、心臓止まってたからね」
 「…それはほら、君が消えるか消えないかの瀬戸際だっていうのに、僕が死ぬ気で臨まないわけにはいかないだろ?僕だって命かけるさ。結果、瞬は出てこれたんだしね」
 「…死ぬ気でっていうか、始めから死ぬつもりで挑んでたんじゃないか」



 相変わらず瞬は賢く、痛いところを突いてくる。



 「…んー、まあ、いいじゃないか。そんなことは」


 僕がそう言うと、瞬は呆れたような顔をして、深いため息をついた。



 「…全く君って人は…いつだってそうやって、自分を犠牲にしようとするんだから」

 

 しょうがないなあ、といった感じで片目を瞑り、もう片方の目で僕の様子を伺っている。
 そんな瞬の様子が、可愛くて頬が緩む。



 「…君だって、そうだろ?」

 
 僕はそういって、笑いながら瞬の唇に自分の唇を合わせた。
 瞬は一瞬驚いた顔をしていたが、すぐにうっとりとした表情になり、静かに目を瞑った。

 僕はキスをする度、また新しい瞬の表情が見れることに震える程喜びを感じていた。



 唇を合わせている間、ふとこう思う。
 このまま、ずっとこうしていたい…なんて、すごく子供っぽいことを。


 …でも、今、この時だけは、子供っぽくても、構わなかった。
 このまま、瞬の温もりを感じながら、今まであった苦しいことも悲しいことも全てが霞むほどの、この静かな夜に、満月と共に浮かんでいたかった。


 そんなことを考えていると、そのうち、ふわふわと、まるで本当に浮かんでいるかのような夢見心地になった。



 ――ここはまるで、幸せの実感を一番感じていた頃の、昔と同じ全く小さな世界である、とふと思った。
 
 …でも、その小さな世界で、僕たちの止まっていた時間はようやく、静かに動き始めていた。


 これからは、二人でまた、時を刻んでいけるのだ。
 
 会えなかった12年間の空白の時間も、二人ならすぐに、埋められるような気がしていた。




 …なあ、瞬もそう思うだろ?
 なんて、聞こえるはずのないことを分かっていながら、心の中で呟く。



 
 まだキスをしている途中だが、ふと目を開けてみると、瞬も目を開けてこちらを見ていた。

 そして、僕の問いかけが伝わったかのように、「そうだね」と言うように瞬は目を細めて笑った。
 目は口ほどに物を言うとはよく言ったものだ。



 そして僕らは、互いに瞳を見つめ合いながら、何度も、何度も位置を変え、熱い口づけを交わした。

 
 
 
 瞬の誘うような潤んだ瞳を見つめながら、今すぐにも瞬をどうにかしたい衝動に駆られていたが、さっきのことを思いだして、もしかしたら瞬なら、僕の心の声を聞くことが可能なんじゃないか?と思ってしまって、気が気でなかった。

 
 …そんな僕を見かねたのか、瞬がもう我慢できない、と言った感じで口を離し、その真っ白な歯を見せながらけらけらと笑い出した。


 
 何故突然笑い出したのか理解できない僕を横目に、瞬は案の定、「やっぱり、君は馬鹿だね」と、もう言われるのは何度目なのだろうという台詞を吐く。



 
 今度からその台詞、言った回数数えてやろうか。なんて馬鹿なことを考えながら、瞬の楽しそうに笑う顔を見て、僕も自然とつられて笑ったのだった。



 

 ――笑い合えるこの瞬間が、いつまでも続きますように。
 と僕はまた、子供のような願いを、心の中でかけた。


 
 





 「…ふふ、そうだね。覚」

 
 瞬はそう一言言うと、満天の星空に負けないくらいの、溢れるような笑顔で、再び笑ったのだった。








-Fin-