今ひとたびの奇跡を・・・ (3/3) | 秋妃
3.
勢い良く扉を開けた先は中庭だった。
だが、信じられない驚愕の光景に声を失った俺は、引き戸を握ったまま立ち尽くすしか出来なくて、そんな俺に最初に気付いた少年が隣にいた人物の袖を引っ張ってこちらを指差した。
少年の言葉に耳を傾けて振り返ったその姿を、俺が見間違うわけがない。
「・・・しゅ、ん・・・」
扉の先にいたのは、誰よりも会いたくて誰よりも愛しい、俺の大切な人。
幻覚?
いや、幻覚にしてはリアルな、しかも記憶にある姿ではなくて俺と変わらないくらいの大人の容貌だ。
記憶よりも背が伸びて、少年っぽさが抜けた顔のラインは大人のそれへと変わっていたけれど、間違いない。
瞬だ。
それならやっぱりこれは夢か幻だ。
だって瞬はもういないはずだ、成長した姿ってことはやっぱり俺の想いの力が見せた呪力の賜物であって・・・
頭が混乱して動けない俺に、瞬もまた驚いたようで、二人見つめあったまま数秒が経過したと思う。
先に我に返った俺が手を伸ばそうとして、そこで瞬ははっと目を瞠った。
「来ちゃダメだ!」
身を翻し、俺との距離を取る姿に胸が苦しい程締め付けられる。
やっぱり俺には会いたくなかった?
俺の事なんて忘れた?
なぁ、瞬・・・
拒絶され顔を泣きそうに顰めた俺に「どうしてここに・・」と瞬が険しい表情を見せる。
あぁ、やっぱり俺は瞬にとってその程度の存在だったのか。
突きつけられた事実に言葉を失って視線を逸らすと、少し悲しそうに俯いた瞬は「僕は業魔だから・・」と小さく呟いた。
ようやく会えた、今すぐにでも抱き締めたい俺を遮るように、いつの間にか小さなハチ玉が瞬の周りを回る。
「だいぶ制御できるようになったけど、きみはこの場所の人間ではないから影響がないとは言えない。だから近づいちゃだめだ、覚・・・。」
『覚』と俺の名前を呼んでくれた、愛しい声で。
それだけでもう泣きそうなくらい嬉しくて、理性なんて吹き飛ぶに決まっている。
暴走した呪力の影響を受けてしまうから?
だから近づいてはいけないって?
それくらい俺だってわかっている。
だがそれ以上に瞬への想いの方が強いに決まっているだろう!
愛してるんだ
愛してるんだ
愛してるんだ
今も変わらず、ずっとずっとずっと瞬だけを・・・・
業魔だろうがハチ玉だろうがそんなものクソくらえだ、これ以上俺を拒絶する言葉なんて聞きたくないから、強引に腕を引き寄せて隙間がない程その痩身を力いっぱい抱き締めた。
「覚!!」
一瞬、細い身体が強張るのを感じたが、もう絶対に離すものか。
「瞬・・っ、瞬、瞬・・・・!!」
12年振りに触れるその身体に、愛しいぬくもりに、懐かしい匂いに、胸の奥から狂おしいほどの愛しさが込み上げてきた。
ずっと触れたかった、ずっと会いたかった。
記憶操作されている間も何か大切な感情を失ったことだけは分かっていたほど会いたかった存在なんだ、もう歯止めなんて利くわけがない。
業魔だって幽霊だって幻だって何だって良い。
失ったと思っていた最愛の人が今、目の前にいて触れられる。それだけで十分だ。
目が眩むほどの喜びが俺の身体全体を駆け抜けた。
「会いたかった・・・っ、会いたかった、瞬」
「・・・・覚」
26の男が泣くなんてみっともないかもしれない、けれど感情は抑えられなかった。
瞬をきつく抱き締めたまま、声を殺す俺の背をそっと抱き締める細い腕。
いつの間にか、くるくると回っていたハチ玉は力を失くし、硬質な音を立てて地へ落ちた。
「・・・業魔になったって、・・死んだって、でも俺・・、瞬からは何一つ聞いてなくて・・信じたく、なくて・・・」
何を言っているか自分でも分からない。ただ内に秘めていた感情がただ溢れ出す様に言葉が零れる。
「こんなにちゃんと触れられて温かい・・・本物の瞬・・なんだよな?」
「そうだよ。・・・・きみのよく知ってる僕だ、覚」
「よかっ・・・た、」
夢でも幻でもない。本物の瞬。その事実に全身から力が抜けて、俺は瞬に縋りついた。
「ごめん。覚、ごめん」
何度も何度も背を撫でる優しい手は、あの頃と一つも変わっていない。
誰よりも優しくて思いやりが深い、俺の愛した瞬のままだった。
どれくらい経っただろうか。
やっと落ち着いて瞬の顔を見て、優しく微笑みかける唇にそっと口付けを落とす。
唇だけでなく頬にも目元にも額にも、12年分の愛を詰め込んで口付ける。
あまりのしつこさに瞬は途中苦笑いを浮かべたけれど、飽きる事無く何度も何度も確かめるように唇を触れ合わせ、その存在を確かめた。
吐息が触れ合うほど間近で見た瞬は、あどけなさはすっかり抜けて大人の男そのものだけど、あの頃の面影は色濃く残っていた。
14のあの日。
首飾りを返され、瞬に嫌われたと思っても結局諦めることも忘れる事も出来なかった。
早季から真実を聞いてから、瞬の気持ちを考えもしなかった愚かで子供な自分を何度罵ったことか。
これ以上瞬に嫌われたくなくて、別れたくないと縋りつけなかった自分を何度殴りたいと思ったか。
「僕は覚に酷い事を言って傷つけた」
当時は分からなかったけれど、今なら瞬の判断の意味も分かっている。
瞬しか見えていなかった俺に、業魔のくだりを説明したとして納得するわけが無いのも、俺も行くと言いかねないのも分かっていたのだろう。
だからこそ簡単に、そして確実に俺が引き下がる方法を用いたのだと、この歳になってやっと分かった。
「良いんだ、瞬。どんな言葉でも、瞬からの言葉なら俺には宝物なんだから」
例え深く傷付いても、それは”瞬”がくれた”俺”への言葉、だから瞬が気に病む必要なんて一つもないんだ。
瞬がここにいる、俺の目の前にいる。
それだけが全てで、その真実一つでモノクロだった俺の世界に12年振りに色が戻った。
「そういえば覚、どうやってここに?」
至極最もな質問に、俺は「夢でも幻でも瞬に会いたくて彷徨っていたら、瞬の声を聞いた気がして気付いたらここに辿り着いた」とありのままを説明する。
「八丁標くぐってさ、ただ無意識に歩いていたら、この子に会って・・・」
と、そこでやっと少年の存在を思い出した。
「そういえば、この子供は・・っ」
今の今まで俺達二人の動向を静かに見守っていた少年は、俺の視線を受けどこか悪戯っぽく笑う。
遠目では瞬そっくりだと思ったけど、こうやって本人を前にすると瓜二つではないことに気付いた俺に、瞬は破顔した。
「あぁ、この子はね――」
「瞬の子、だよな?」
瞬の言葉を遮って、俺は苦く言葉を吐き出す。
瞬の子供。
少年を見た時からずっと考えていた可能性は、もはや誤魔化すことが出来ないほど俺の中で確信を持っていた。
真実を聞きたい。けれど、聞きたくない。
そんな相反する感情が渦巻く俺とは裏腹に「そうだよ、よくわかったな」と嬉しそうに微笑む瞬の表情は愛しさに溢れていて、あぁやっぱり愛する誰かとの子なんだと急激に落ち込んだ。
瞬にもう一度会えるなら、それだけで良いと思っていたけど、俺以外の誰かと肌を合わせた事実に激しい嫉妬に苛まれる。
そんなの俺が言う権利ないってわかっているけど。
顔を逸らした俺に気付かないのか、瞬は少年を手招きすると俺と彼を向き合わせた。
「覚。何か誤解しているみたいだけど、この子を良く見て」
はっきりと、逃げられない強さの声色に、ノロノロと視線を少年に定め、驚いた。
遠目からでは分からなかったが少年の瞳の色は俺と同じ赤みを帯びた色で、あの頃の瞬そっくりな理知的な顔付きだけど年相応にやんちゃな感じもする。
しかもどことなく俺の少年時代に似ているのは気のせいだろうか。
何故だ?この子は瞬の子供なのに・・・
「瞬の子、なんだよな?」
だが眉を寄せた俺に小さく笑った瞬は、予想もしていなかった爆弾を落とした。
「そうだよ。そして覚の子でもある」
――?
一瞬、いや数秒思考が停止する。
今何か聞き間違えただろうか、それとも瞬に会えた喜びで俺の耳がおかしくなったのか?
「・・・ごめん、瞬。よく聞こえなかったんだけど・・・」
「僕が産んだ、僕と覚の子」
「―――え?」
あっさりと告げられた驚愕の事実に俺は再度驚いたまま固まった。
産んだ?
瞬が?
どうやって?
いや、身に覚えはある。
少年はだいたい12歳くらいだろう、ってことは俺達が14の時の子だと仮定して、確かにあの頃の俺は四六時中瞬にくっついていたし、すぐにそういう行為に持ち込んでいたのは否定しない。
今思えば恥ずかしいくらいに盛っていたけれど、お年頃だったんだ。好きな人が隣にいたら我慢なんて出来るわけがない。
だけど、だけどだ。
瞬は確かに、いや確実に男で、今だってどこからどう見ても見た目も骨格も男そのものだ。
産むって、そう簡単に言われても納得できなかった。
「驚くのも無理ないよな。でも本当なんだ。僕が産んだ僕と覚の子。僕の宝物だ」
この子がいてくれたお陰で、僕はずっと生きてこれた。
そう語る瞬の瞳に確かな愛情と、親としての覚悟を見た気がする。
言葉にしなくても、瞬がどれだけこの子を大切にしていたのかは手に取るように分かった。
どれだけ俺を想ってくれていたかも。
俺が瞬に残した愛を、瞬は業魔と化してもなお形として残してくれた、ちゃんと愛してくれていた。
俺を、この子を。
本当に命がけで。
「この12年、毎日覚を想っていたよ。毎日覚の名を呼んでた」
穏やかな表情で微笑む瞬の言葉に、数時間前に聞こえた俺の名を呼ぶ瞬の声を思い出す。
「・・・じゃぁ、やっぱりあれは俺の幻聴じゃなかったんだな」
「幻聴?」
「瞬の声が聞こえたんだ。覚って呼ぶ瞬の声。だからここに来られた」
俺の言葉に瞠目した瞬は「届いたんだ、僕の声…」と呟いてそれから少し泣きそうに笑った。そして。
「愛しているよ、覚。昔も・・今も」
俺の頬に手を滑らせて、瞬は初めて俺に愛を囁いてくれた。
瞬に片想いしていた頃からずっと欲しかった、けれどもらえなかった愛の言葉。
その事実に、眩暈がするほどの幸せを感じて、止まった涙がまた溢れ出すのを感じたけれど今更隠す必要もない。
「・・・俺も愛してる、瞬・・・」
嬉しくて愛しくて、瞬と少年を力の限り抱き締め声を殺して泣いた。
抱き締めた腕の中、くいくと袖を引っ張られて顔を上げると、幸せそうに見上げた俺と同じ色の瞳と視線があう。
「そういえば名前、まだ聞いてなかったな。教えてくれるか?」
二人を抱き締めたまま問えば、少年は瞬に似た理知的な笑顔でにっこりと微笑み返してくれた。
「僕の名前は――」
瞬、瞬。
愛しているよ、誰よりも何よりも瞬だけを。
そして。
愛しい愛しい、俺と瞬の子供。
今度こそ離さない、絶対に。
この命が尽きるまで瞬とこの子を守り抜くことを誓うよ。
俺の覚悟を感じたのだろう、瞬が涙を浮かべて幸せそうに微笑んだ。