花火



「来年もまた四人で来ようね。」

誰から言いはじめたのだろう、毎年大輪の色鮮やかな花火を眺めながら交わされた言葉。
ふと、前方を笑いながら人混みを抜けていく子どもたちを見て思い出した。
華やかな浴衣を着た子どもたちが楽しそうに通り抜けていく様は、帯のせいもあるのか、まるで昔水路に逃がした金魚のようだった。
―ひらひら、ひらひら。
僕と覚も活発な女子二人に先導され、二人の長めの結びの帯を見ながら祭りに付いて行ったものだ。


神栖の夏祭りは決まって新月の夜に行われる。
そのため日が暮れると同時に、辺りは深い闇に飲み込まれていく。
灯といえば、祭りの篝火や提灯、灯籠や出店のものだけで、その非日常的な雰囲気が幼心に恐怖心と好奇心を産み出していた。
祭りの賑やかさに対しての、暗がりの静けさ。
ふと、毎回こっそり人気のない所へ一人で出向く。
少し離れた後方で響く人々の笑い声。
決まって暗闇に向いて、そっと目を閉じる。
張りつめたような空気感。
何をするでもなく、ただそうして少しばかりの時間を過ごしていると、決まって自分の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。

「…しゅーん!」

その声が、この束の間の非日常から戻る合図。
ふわっと腕が両肩に下ろされ、後ろから抱き締められる体勢になる。

「また一人でこんな所に居たの?」

優しく耳元で囁かれた。
その左手には、毎回こっそり祭りを抜け出すために覚に頼む、硝子の器に入った金魚すくいの戦利品が見えた。
今回は二匹かと、クスッと笑ってしまった。

「どうして笑うんだよ?」
「いや…、今回は二匹だけれど綺麗な金魚をすくえたんだなって。」

年々金魚すくいが上手くなっていく覚。
毎回のことなので、勘のよい覚はとっくに気づいているだろうに、それでも何も言わず付き合ってくれるのは、やはり気遣い屋なのだろう。

「瞬…。」

先程よりも増して、優しい声色で名前を呼ばれる。
少し不安混じりの、覚の声。

一度、一人で抜け出したことにひどく怒られたことがある。
まだ四人で祭りを楽しんでいた頃だ。
三回目の時はすでに故意的であった。
それを勘の良い覚は二回目の時には気づいていたのだろう、三回目はこっそりと付いてきていたのだ。
八丁標近くまで来たときに、右手首を後方に強く引っ張られた痛みを今でも覚えている。

そっと、覚のくせのある猫っ毛を撫でると、応えるように頬をすり寄せてきた。
覚の毛先が首筋を刺激してこそばゆい。

「…覚、くすぐったいよ。」

ふふっと笑いながら、幼い子どものように甘える覚をあやすと、

「わざとしてるんだよ。」

そう言うと同時に唇を撫で、親指を口内に侵入させてきた。
吐息が漏れる。歯列をなぞり割ってきたと思ったら、奥の舌を弄びはじめた。
そんなに大きい方でない口内は覚の親指を必死で許容するが、少し苦しくて吐息混じりの声が出してしまう。
『親指をしゃぶる』という行為は、臨床的には愛情不足のサイン、つまり精神的なことに由来する行為であると、古代の文献で読んだことがある。
覚はよく、“僕に”自身の親指をしゃぶらせる。
その意図とは…。
自分自身の指をしゃぶっている訳ではないので、解釈は変わってくるのであろうが、愛情に関係はしているのだろうと、覚の行為が意味することについて考えていた。
そうやって別のことを考えている内に、気が付くと覚の深い侵入を許してしまい、根元までくわえさせられていた。
先程まで舌を弄んでいたはずの指が、喉の奥を突き、思わず嘔吐きそうになる。
しかしその瞬間、スッと指が抜かれた。
唾液の分泌が促されていたので指と唇には銀の糸がかかり、口端からは溢れ出ていた。
予想外の展開に物足りなさを感じている。
抜かれた指の行方を追うと、覚が絡み付いた唾液を舐めとっていた。
その行為を見ていると、沸き上がってくる感情。

「…瞬からして欲しいな。」

汲み取ったのか、狙っていたのか…、覚は挑発的な態度で示した。
覚がそれならばと、後方を向き、覚の頭を自分の方へと思いきり寄せ、無理な体勢のまま噛むように唇を奪う。

「…んっ。」

第一接触が予想より深かったのだろう、覚から驚きの吐息が漏れる。
先ほどの行為で分泌された唾液を、意地悪く覚に飲ませようと口内をかき混ぜた。
舌が絡み合い、逃げる覚の舌をまた追いかける。
その度にお互いの繋ぎ目から伝う液体の感触。
キスもまた、粘膜接触であり深く繋がる行為である。
口内を犯される感覚は、体を繋げる行為によく似ている。
ゴクッと覚の喉仏が上下した。
それを見届けると、ゆっくりと深く繋がっていた唇を、お互いが触れるか触れないかという位置で静止した。
覚の肩が上下して久方ぶりの空気を肺に届けている。
惚けている覚の顔を間近で見ていると、実は長い睫毛や形のいい唇、綺麗な瞳の色や耳の形であることを再認識する。
覚は綺麗だ。でも、それに気づいている人はきっとあまりいない。
…自分だけが知っていればいいのだけれど。


―ドーン


音に遅れて、後方から光が差した。
花火が始まったのだ。
自然とそちらに顔を向けていた覚の瞳の中に映る光を、追う。

なぜ、暗がりを求めて抜け出すのか。
自分でも分からない。
一度目は偶然だった。
早季と真理亜、覚と途中はぐれてしまい、周囲を見回していると祭りの“外”がやたらと気になった。
暖かな橙色で灯され、人々の笑い声に包まれたお祭りに対しての“外”は、普段なら生活をしている場にも関わらず、ひっそりとして、まるで八丁標の外みたいだった。
(「瞬、どこ行くの?」)
右手首を引っ張られた時に発せられた言葉と、覚の真剣な顔がフラッシュバックした。
それから覚は察してか、僕が祭りの中一時的に消えることを承諾し、それと同時に“日常への帰還”を促してくれるようになった。

覚の後ろで、鮮やかな色彩を生み出しては消えていく花火が、後光となって僕らを照らしている。
祭りの会場から少し離れているせいで、灯がない分、覚を照らす光がいつもより強く感じられた。
覚の暖かな光に照らされて、“還る”―。
急に胸の奥がチリチリとした。

はじめは喧騒から隔離された、張り詰めた空気感の心地よさに惹かれてた。
そして瞼を閉じると感じる、“無”の感覚。
一度リセットされるような感覚だろうか、心がスッと軽くなるのだ。
しかしその心地良さは暗闇に引き込まれそうになる感覚と引換えだった。
暗闇の向こう、見えない何かに引き込まれ、心と体に纏わりつく“闇”。
何度も、何度も、引き込まれそうになる瞬間があった。
しかし、覚の名前を呼ぶ声が、いつもそれを制止してくれていた。
深い暗闇の中で、一筋の光が目の前に道を作り出し、その光の先に目を向けると見慣れた覚の姿が現れる。
そして、その“光”は、必ず“僕”を日常へと導いてくれていた。

「…必ず、覚が見つけ出してくれるから安心しているのか…。」

思わず言葉にしてしまった。

「ん?何か言った?瞬。」

花火を見ていた覚が顔を向けた。
とても、暖かな笑顔で。

暗闇に赴くのは、覚という“光”をより一層感じることができるから。
はじめは偶然だったが、三回目以降は覚が必ず見つけ出してくれるという自信もあったのだろう。
その時の覚の強烈な“光”が忘れられなくなり、毎回体のいいことを言って抜け出していたのだ。
暗闇の中、覚という“光”を感じたい。
覚という“光”に照らされたい。

「瞬、いつか俺も一緒に祭りを抜け出したいな。今は無理でも。」

絶え間なく、新月の闇に咲き乱れる花が覚の後方で輝いている。
僕をいつも照らし続けていてくれた“光”が、より一層輝きを増して見えた。

「…覚は今のままでいて欲しいな。」
「何の話?俺、はぐらかされた?」
「そんなことはしてないよ。」

覚の少し困った表情に苦笑した。

「……次は付き合ってくれるの?」
「!! 付き合うよ!」

先ほどの表情とは打って変わっての歓喜の笑み。
僕はずっと、彼に支えられてきたのだ。そして今も。

「ただ、目を閉じるだけだよ?」
「…一緒にいられるだけでいいよ!」

彼の頬に手を添えると、覚の満面の笑みの後ろで、一番華やかな花火が花を咲かせた。

愛しい彼の笑顔をこれからもずっと、隣で見続けていきたい。
切に、思った。
願わくば、いつまでも彼の“光”が、僕を照らし続けてくれますように。




「来年もまた四人で来ようね。」

誰から言いはじめたのだろう、毎年大輪の色鮮やかな花火を眺めながら交わされた言葉。
ふと、前方を笑いながら人混みを抜けていく子どもたちを見て思い出した。
華やかな浴衣を着た子どもたちが楽しそうに通り抜けていく様は、帯のせいもあるのか、まるで昔水路に逃がした金魚のようだった。
―ひらひら、ひらひら。
僕と覚も活発な女子二人に先導され、二人の長めの結びの帯を見ながら祭りに付いて行ったものだ。


神栖の夏祭りは決まって新月の夜に行われる。
そのため日が暮れると同時に、辺りは深い闇に飲み込まれていく。
灯といえば、祭りの篝火や提灯、灯籠や出店のものだけで、その非日常的な雰囲気が幼心に恐怖心と好奇心を産み出していた。
祭りの賑やかさに対しての、暗がりの静けさ。
ふと、毎回こっそり人気のない所へ一人で出向く。
少し離れた後方で響く人々の笑い声。
決まって暗闇に向いて、そっと目を閉じる。
張りつめたような空気感。
何をするでもなく、ただそうして少しばかりの時間を過ごしていると、決まって自分の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。

「…しゅーん!」

その声が、この束の間の非日常から戻る合図。
ふわっと腕が両肩に下ろされ、後ろから抱き締められる体勢になる。

「また一人でこんな所に居たの?」

優しく耳元で囁かれた。
その左手には、毎回こっそり祭りを抜け出すために覚に頼む、硝子の器に入った金魚すくいの戦利品が見えた。
今回は二匹かと、クスッと笑ってしまった。

「どうして笑うんだよ?」
「いや…、今回は二匹だけれど綺麗な金魚をすくえたんだなって。」

年々金魚すくいが上手くなっていく覚。
毎回のことなので、勘のよい覚はとっくに気づいているだろうに、それでも何も言わず付き合ってくれるのは、やはり気遣い屋なのだろう。

「瞬…。」

先程よりも増して、優しい声色で名前を呼ばれる。
少し不安混じりの、覚の声。

一度、一人で抜け出したことにひどく怒られたことがある。
まだ四人で祭りを楽しんでいた頃だ。
三回目の時はすでに故意的であった。
それを勘の良い覚は二回目の時には気づいていたのだろう、三回目はこっそりと付いてきていたのだ。
八丁標近くまで来たときに、右手首を後方に強く引っ張られた痛みを今でも覚えている。

そっと、覚のくせのある猫っ毛を撫でると、応えるように頬をすり寄せてきた。
覚の毛先が首筋を刺激してこそばゆい。

「…覚、くすぐったいよ。」

ふふっと笑いながら、幼い子どものように甘える覚をあやすと、

「わざとしてるんだよ。」

そう言うと同時に唇を撫で、親指を口内に侵入させてきた。
吐息が漏れる。歯列をなぞり割ってきたと思ったら、奥の舌を弄びはじめた。
そんなに大きい方でない口内は覚の親指を必死で許容するが、少し苦しくて吐息混じりの声が出してしまう。
『親指をしゃぶる』という行為は、臨床的には愛情不足のサイン、つまり精神的なことに由来する行為であると、古代の文献で読んだことがある。
覚はよく、“僕に”自身の親指をしゃぶらせる。
その意図とは…。
自分自身の指をしゃぶっている訳ではないので、解釈は変わってくるのであろうが、愛情に関係はしているのだろうと、覚の行為が意味することについて考えていた。
そうやって別のことを考えている内に、気が付くと覚の深い侵入を許してしまい、根元までくわえさせられていた。
先程まで舌を弄んでいたはずの指が、喉の奥を突き、思わず嘔吐きそうになる。
しかしその瞬間、スッと指が抜かれた。
唾液の分泌が促されていたので指と唇には銀の糸がかかり、口端からは溢れ出ていた。
予想外の展開に物足りなさを感じている。
抜かれた指の行方を追うと、覚が絡み付いた唾液を舐めとっていた。
その行為を見ていると、沸き上がってくる感情。

「…瞬からして欲しいな。」

汲み取ったのか、狙っていたのか…、覚は挑発的な態度で示した。
覚がそれならばと、後方を向き、覚の頭を自分の方へと思いきり寄せ、無理な体勢のまま噛むように唇を奪う。

「…んっ。」

第一接触が予想より深かったのだろう、覚から驚きの吐息が漏れる。
先ほどの行為で分泌された唾液を、意地悪く覚に飲ませようと口内をかき混ぜた。
舌が絡み合い、逃げる覚の舌をまた追いかける。
その度にお互いの繋ぎ目から伝う液体の感触。
キスもまた、粘膜接触であり深く繋がる行為である。
口内を犯される感覚は、体を繋げる行為によく似ている。
ゴクッと覚の喉仏が上下した。
それを見届けると、ゆっくりと深く繋がっていた唇を、お互いが触れるか触れないかという位置で静止した。
覚の肩が上下して久方ぶりの空気を肺に届けている。
惚けている覚の顔を間近で見ていると、実は長い睫毛や形のいい唇、綺麗な瞳の色や耳の形であることを再認識する。
覚は綺麗だ。でも、それに気づいている人はきっとあまりいない。
…自分だけが知っていればいいのだけれど。


―ドーン


音に遅れて、後方から光が差した。
花火が始まったのだ。
自然とそちらに顔を向けていた覚の瞳の中に映る光を、追う。

なぜ、暗がりを求めて抜け出すのか。
自分でも分からない。
一度目は偶然だった。
早季と真理亜、覚と途中はぐれてしまい、周囲を見回していると祭りの“外”がやたらと気になった。
暖かな橙色で灯され、人々の笑い声に包まれたお祭りに対しての“外”は、普段なら生活をしている場にも関わらず、ひっそりとして、まるで八丁標の外みたいだった。
(「瞬、どこ行くの?」)
右手首を引っ張られた時に発せられた言葉と、覚の真剣な顔がフラッシュバックした。
それから覚は察してか、僕が祭りの中一時的に消えることを承諾し、それと同時に“日常への帰還”を促してくれるようになった。

覚の後ろで、鮮やかな色彩を生み出しては消えていく花火が、後光となって僕らを照らしている。
祭りの会場から少し離れているせいで、灯がない分、覚を照らす光がいつもより強く感じられた。
覚の暖かな光に照らされて、“還る”―。
急に胸の奥がチリチリとした。

はじめは喧騒から隔離された、張り詰めた空気感の心地よさに惹かれてた。
そして瞼を閉じると感じる、“無”の感覚。
一度リセットされるような感覚だろうか、心がスッと軽くなるのだ。
しかしその心地良さは暗闇に引き込まれそうになる感覚と引換えだった。
暗闇の向こう、見えない何かに引き込まれ、心と体に纏わりつく“闇”。
何度も、何度も、引き込まれそうになる瞬間があった。
しかし、覚の名前を呼ぶ声が、いつもそれを制止してくれていた。
深い暗闇の中で、一筋の光が目の前に道を作り出し、その光の先に目を向けると見慣れた覚の姿が現れる。
そして、その“光”は、必ず“僕”を日常へと導いてくれていた。

「…必ず、覚が見つけ出してくれるから安心しているのか…。」

思わず言葉にしてしまった。

「ん?何か言った?瞬。」

花火を見ていた覚が顔を向けた。
とても、暖かな笑顔で。

暗闇に赴くのは、覚という“光”をより一層感じることができるから。
はじめは偶然だったが、三回目以降は覚が必ず見つけ出してくれるという自信もあったのだろう。
その時の覚の強烈な“光”が忘れられなくなり、毎回体のいいことを言って抜け出していたのだ。
暗闇の中、覚という“光”を感じたい。
覚という“光”に照らされたい。

「瞬、いつか俺も一緒に祭りを抜け出したいな。今は無理でも。」

絶え間なく、新月の闇に咲き乱れる花が覚の後方で輝いている。
僕をいつも照らし続けていてくれた“光”が、より一層輝きを増して見えた。

「…覚は今のままでいて欲しいな。」
「何の話?俺、はぐらかされた?」
「そんなことはしてないよ。」

覚の少し困った表情に苦笑した。

「……次は付き合ってくれるの?」
「!! 付き合うよ!」

先ほどの表情とは打って変わっての歓喜の笑み。
僕はずっと、彼に支えられてきたのだ。そして今も。

「ただ、目を閉じるだけだよ?」
「…一緒にいられるだけでいいよ!」

彼の頬に手を添えると、覚の満面の笑みの後ろで、一番華やかな花火が花を咲かせた。

愛しい彼の笑顔をこれからもずっと、隣で見続けていきたい。
切に、思った。
願わくば、いつまでも彼の“光”が、僕を照らし続けてくれますように。